前夫と離婚に至るまで21

離婚の話が具体化してから、

父は前夫と話し合いを

進めてくれました。

 

その間、私は心労からうつ病が酷くなり、

会社に隠しながら長時間残業を

するのが苦痛で、思い切って

6年勤めた会社を辞めました。

 

でも、実家に閉じこもっていては

自分がダメになってしまうと感じ、

退職後ほどなくして、実家近所で

アルバイトを始めました。

アルバイト先の皆さんはとても

優しく、良い人ばかりで

とても穏やかにアルバイトをする

ことができました。

 

父は前夫と話し合いを進めるうち、

前夫の誠意のない態度にかなり

腹を立て、慰謝料を請求していました。

 

私たちには子供もおらず、

お互い20代なので、そこまで

慰謝料は発生しない場合が

多いのですが、父が慰謝料を

請求すると何でもお金で

解決したがる彼はすんなり

応じたそうで、父も逆にびっくり。

 

前夫は慰謝料をいくら支払ってでも

なるべく早く離婚したかったようです。

 

前夫は、当時学生で収入がなかった

ことから、MBA取得後、就職してから

毎月分割で支払うことになりました。

 

その金額、なんと500万円!

毎月10万円ずつ、50ヶ月。

 

結婚生活は5年程度で子供無し

なのに、この金額は破格です。

 

本当バカな前夫です。。

 

前夫と離婚に至るまで20

前回のブログに書いた

離婚話になる前に義母と2人で

過ごした日の話に触れます。

 

 

前夫の渡米後、私は自分の両親が

暮らす実家に引越し、一時的に

同居しました。

でも、義実家は隣町。

義母に度々誘われて、前夫が留学中も

月に2-3回は義実家に顔を出していました。

 

義両親のことは嫌いではありません

でしたが、夫がいない中、1人で

頻繁に顔を出すのは面倒だと思う

ときもありましたが、嫁として、

義両親とは仲良くしたかったし、

誘われれば行くようにしていました。

 

しかし、義母は信仰する宗教のことがあり、

度々勧誘?のような発言もあり、

私は義母との会話は日々言葉を選びながら

話していたように思います。

 

 

ある日、また義母に誘われて

義実家に遊びに行きました。

義父は外出しており、義母は

『たまには2人でお出かけしようか!』

と言われ、景色の良い公園を散歩して

から、義母オススメのお店でランチを

することにしました。

 

義母は上機嫌でランチを注文してくれて

会話も弾んでいました。義母はこんなことを

言い始めました。

 

『息子(←前夫)は社会人になったのに

また勉強をしに自費で留学している。

夫(←義父)は自営業なので60歳を

過ぎた今でも毎日仕事を頑張って

くれている。

私(←義母)は日々(宗教の)布教に

力を注ぎ、集まりには必ず参加し、

祈りを欠かしたことがない。

娘(←前夫の妹、大学卒業後、働きたく

ないという理由で就職せず実家で

のんびりアルバイト生活)は最近毎日

お裁縫を頑張っていて、ティッシュケース

がもうすぐ完成しそうなのよ!

たまにアルバイトだってあるのに

すぐティッシュケースできちゃうの!

………………なのに、あなたは

今ここにいて、毎日一体何を

頑張っているの???』

と言い放ちました。。。

 

その言葉を聞いて、人前では滅多に

泣くことがない私ですが、

びっくりするくらい涙があふれ出ました。

ここは、街の小さい小さいレストラン。

土曜のお昼、周囲は明らかに

ざわつきました。

義母はあからさまに慌てました。

でも、私の涙は止まりませんでした。

 

なんていうか、、

ものすごく悔しかったんです。

何もわかってくれてないなって

何でそんな風に言われなきゃ

ならないんだろうって

悲しくて悲しくて。

 

前夫に帯同を許して貰えず

度重なる浮気で心はボロボロ。

自分がうつ病になりながらも

また夫と前みたいな関係に

戻れると信じて、

自分自身がしっかりしないと!

楽しまないと!と言い聞かせながら

 

正社員として月60時間を超える残業、

自費留学した夫の経済的援助をし、

週末には趣味を広げるため

カルチャースクールに通ってもいた。

 

そのこと、義母は知ってるのに。

全部知ってるのに。

『あなたは何を頑張っているの?』

って、まるで私が何も頑張って

いないような、努力していないような

言い方。ショックでした。

 

私があまりに泣くので、義母は慌てて

ランチコースのデザートをキャンセルし、

私を車に乗せ、義実家に帰りました。

 

ずっとずっと『そんなつもりじゃなかった』

って言っていました。

 

でも、『そんなつもりじゃなかった』なら、

そんなこと言わないしね。

 

 

その日から、義母とは

多少距離を置くことになります。

私は義母のことが大っ嫌いに

なりました。

(あーぁ、これまで嫁姑、意外と

円満だったのになぁなんて。)

 

 

前夫と離婚に至るまで19

父は私の話を聞くとすぐに

『もう我慢しなくてもいい。

もう頑張らなくてもいい。

世間体なんて関係ない。

そんな奴とは離婚した方がいい!』

と言いました。

 

あまりの展開の早さに

ただただ驚きました。

ここから寡黙な父が一気に

動き出しました。そんなに

行動力のある父を見たことが

ありませんでした。

 

娘のために、こんなに動いてくれる

父に申し訳ない気持ちで一杯でした。

 

まず父はアメリカにいる前夫を

無理矢理日本に緊急帰国させました。

そして、父は1人で前夫に会い、

前夫の考えを確認しに行きました。

 

私も同席したいと言いましたが、

もう会わなくていいからと言われ、

母と家で待ちました。

 

父は帰宅し、言いました。

『離婚しよう。彼は100%修復は

ないと言った。例えお前がいくら

やり直したいと願っても相手に

その気がなければ結婚生活は

続けられないんだ。諦めるんだ。

お前はまだ若い、今ならやり直せる。

離婚に向けて話し合いをしよう。

父さんにすべて任せなさい。

お前にはこれ以上、辛い想いは

させないから』

 

私は複雑な気持ちでしたが、

父に頷くしかありませんでした。

『あぁぁ、私、バツイチになるんだぁ』

とぼんやり思ったことを思い出します。

 

その後、父親は前夫に離婚を承諾する

旨を伝え、前夫から義両親に話はされた

ようでした。義母の宗教では、離婚は

絶対してはならないことのひとつ。

息子の離婚にどう思ったのか。。

 

私の母は、常に私に寄りそい、

他愛のない話をいつまでも

聞いてくれる優しい母でした。

父が離婚に向けて話を進めているが

私にまだ多少の迷いがあることも

知っていました。

 

母は義母に連絡し、一度会う約束を

しました。私も同席し、3人で

ファミレスで会いました。

 

義母は見たこともないような

土色の顔色をしていました。

具合が悪いようでしたが、

私はそのときすでに義母と

普通に話せる状況ではなかったので

顔色について詳しく聞いたりは

しませんでした。

 

義母は、前夫の擁護をし始めました。

自分の息子だもん、擁護するのは

当たり前なので、別にショックは

受けませんでした。

 

でも、離婚の話になる前、

義母と私2人で過ごした時の話になり

私は悔しさが蘇り、ファミレスで

大泣きしてしまい、結局その日は

話し合いにならずそのまま帰りました。

 

義母と2人で過ごした時の話は、

離婚を進めるより前の話に

なるのですが、次のブログで

少し触れることにします。

 

 

前夫と離婚に至るまで18

私が渡米しないと言ったら、

彼は驚くほどすぐに

穏やかな態度に戻りました。

 

相当来て欲しくなかったんだなと

思いました。

これは後々、来て欲しくなかった

理由が私にもわかる日がやって

くるのですが、、>_<

 

それから数ヶ月、お互いに

自由に過ごしました。

私は抗うつ薬は手放せなかった

けれど、気分の良い日は友人に

少しあったり両親と出かけたり。

 

しかし、状況が一変します。

 

それは、父親に渡米時期を聞かれて

からでした。私が行かないことにした、

と言うと、父親は何かを感じたのでしょう。

口数の少ない父親が珍しく色々と聞いてきました。

 

そのうち、母親も会話に加わり、

追及にごまかしきれなくなり

少しずつ現状を話しました。

 

何度か離婚したいと言われたこと。

私はまだ修復できると思っていること。

渡米もしないでくれと言われたこと。

 

寡黙な父親がみるみるうちに

激高し、母親が涙目になっていく

のがわかり、胸が苦しくなりました。

前夫と離婚に至るまで17

これまで何の音沙汰もなかった

前夫から、突然の着信!

驚きましたが、生きてた!と

思って嬉しい気持ちで電話を

取ったことを覚えています。

 

前夫は連絡をしなかったことを

詫びることもなく、帰国時の

優しい様子も全くなく、

苛立ったように私に言いました。

 

『だから!来て欲しくないんだ!

このまま、終わりにしたいんだ!

もう俺のことは放っておいてくれ』

 

……???

 

突然、怒鳴られてキョトンとする私。

そして、疑問がいっぱいだった。。

 

このまま、、終わり??

私たち、恋人じゃないよ。

夫婦なのに、このまま

フェードアウトするつもり

だったなんて。。

失踪でもして、離別したかったのかなぁ。

それって、、事件じゃん!

 

きちんと話し合いを持たずに

また宣告され、

もうどうしたらいいのか

わかりませんでした。

 

でも、私はひとつ言いました。

 

『二年目のアメリカ帯同、

やめよう。私は日本であなたを

待つわ』

 

何だか急に冷めた、というか

この人とアメリカで暮らしても

きっと今は楽しくないと確信した

瞬間でした。

 

あのときはまだ離婚については

どうなるのかわかりませんでしたが、

とりあえず彼がアメリカにいる間は

冷却期間として、お互いを見つめ直そう

と思いました。

 

それに、私も度重なる彼の発言に

疲れきってきました。

私は私で日本でしばらく

楽しく過ごそう!という

気持ちにやっとなりました。

前夫と離婚に至るまで16

渡米二年目の帯同を断られ、

結論が曖昧なまま

前夫の再渡米の日。

 

義実家にお世話になっていたこともあり

旅行から帰ってからはゆっくり話す

時間はなかった。。

 

義両親も空港まで見送りたいと言い、

最後まで2人きりになれるチャンスが

ないまま、彼は行ってしまった。

私は普通にしていたつもりだが、

義両親から見たら口数が少なくて

機嫌が悪いと思われたかな。

 

帯同のことはまだ数ヶ月先だったので、

電話(Skype)で落ち着いてから

話せば彼の気持ちも変わるかも、

なんて考えていた。

 

ショックだったけど、そこまで深刻に

なっていなかった。

 

 

彼が再渡米して3日ほど経った。

空港で見送ってから一度も連絡がない。

まだ慌ただしいのかなと思い、

『無事着いた?』

それだけメールした。

 

それから1週間、返信なし。

 

『元気?忙しいのかな』

メールしたが、返信なし。

Skypeで電話してみるも出ず。。

 

さすがに心配になってきた。

10日以上、一言も連絡をくれないなんて

なかった。

 

アメリカで何か事件に巻き込まれた?

病気になった?

 

 

意を決して、私は義両親に連絡した。

彼から連絡がないが、そちらには

あったかと聞いたら、ないと言う。

 

それからは何度か電話したり、メールした。

全く返事はなかった。。。

 

1ヶ月くらい経つ頃、

もう心配で心配で、彼にメールした。

 

『返事がないので心配しています。

今からそちらに行きます』

 

航空券は取っていなかったが、

手配して自宅を尋ねようとした。

 

すると、そのメールをしたら

彼から慌てた様子ですぐに返信が来た。。

 

 

前夫と離婚に至るまで15

その年の年末、私は職場に

夫が一時帰国するので、と

嬉しそうに話し、帰国日に

会社を早退させてもらった。

 

成田空港へ迎えに行った。

初恋の人に会うみたいにドキドキ。

帰国ゲートで彼を待ちわびた。

 

彼は私を見つけるなり、優しく

微笑んで、人目もはばからず

軽くキスをして『ただいま』と

言ってくれた。

幸せな瞬間だった。

何も疑わなかった。。

 

2人の家を引き払ってしまったので

お正月はしばらく2人で義実家で

お世話になった。でも、せっかくなので

再渡米前に2人で旅行に行くことにした。

 

行き先は九州二泊三日。

博多、湯布院、黒川など。

ガイドブックを見ながら私は

はしゃいでいた(と思う)。

 

一泊目は湯布院。観光して

温泉に入り、美味しいお料理を食べ

楽しかった。でも数ヶ月振りに

二人きりになったのに、疲れたと

言って夜彼はあっさり寝てしまった。

 

二泊目は博多。

私はタイミング悪く熱を出した。

身体がだるいが、できるだけ

楽しく過ごしたくて、

多少無理をしながら

予定通りのスケジュールをこなした。

 

で、夜。やっぱり彼は寝ようとしていた。

私は熱があるので、まぁ寝るのは

仕方ないとは思いつつ、旅行が

終わればすぐに渡米。次はいつ会えるか

わからない。

 

いつもはこんなこと思わないけど、

彼の気持ちを身体で確認したかった。

そう、要は抱いてほしかった。

 

そんな素振りを見せない彼をみて、

私は博多のホテルでシクシク泣き出して

しまう。

 

優しかった彼が苛立ってくるのが

わかった。それがまた悲しくて

余計泣いてしまう。私は本当に

妻なのか。彼に必要とされているのか

わからなくなった。

 

彼が口を開いた。

 

『今回の一時帰国は話があってきた。

来年の帯同の話。やっぱり無しに

してほしい。このまま1人にさせてくれ。』

 

受け入れられるはずもなく、、、

結論は曖昧のまま、、、

終始無言で旅行から帰り、、、

彼の再渡米の日を迎えた。