前夫と離婚に至るまで14

幾度となく話し合いを重ね、

結局、折衷案で落ち着いた。

 

折衷案……とは、

渡米一年目は1人で、

二年目からは帯同するということ。

 

それからというもの、

準備であっという間に月日は流れ、

彼は意気揚々と渡米した。

気付くと、MBA取得のための大学に

行く前に、ちゃっかり短期語学留学

まで申し込んでおり、MBAのための

入学予定より3ヶ月早く行ってしまった。

 

渡米当日、義両親、私の両親、私で

空港まで見送った。人前で泣かない

タイプの私だが、このときばかりは

淋しい?というか言いようのない不安で

空港で涙した。。

 

彼の渡米後、母は私を心配して

実家から出勤するよう勧めた。

私も抗うつ薬服用で心細く、

有難く甘えた。2人の荷物は

帰国後また暮らせるように

義実家に置かせてもらい、

結婚してから住み続けた家を

引き払った。

 

私は彼が渡米してから一年間

きっちりと勤めた。彼が学生に

なったことで、私の扶養に入れ

将来の年金にも不利益がでないよう

ひとりバタバタと手続きをした。

 

彼は渡米後、たまに連絡をくれた。

離れているせいか、

夢が叶ったからか、

毎日がすこぶる楽しいのか、

日本にいるときより数段優しかった。

、、、私は嬉しかった。

やっぱり行かせてあげて良かった、

渡米二年目は私も行けるから

アメリカで新しいことに

どんどんチャレンジして

彼の足手まといにならないように

彼の勉強の邪魔をしないようにと

下調べや語学の復習をしたりした。

 

離れていて不安になっても、

来年は一緒に住めると思うと

嬉しくて、指折り数えて

日々を過ごした。

 

7月に渡米し、お正月頃

彼が一時帰国することになった。

会える喜び、アメリカでの生活の様子、

大学のこと、2人でゆっくり話せる

と思うと嬉しくてたまらなかった。

 

でも彼の一時帰国は

とんでもない理由でした。

 

前夫と離婚に至るまで13

結婚当初から

問題山積の私たち夫婦。

正に、騙し騙し…という

言葉がぴったりの生活を

送っていました。

 

一見、会話もあり、普通の夫婦。

でも、彼の度重なる言動により

私は彼を好きかどうかもわからないまま、

結婚したのだから、ずっと一緒に

いなければ、、という義務感で

過ごしていたと思います。

現に、薬もやめられませんでした。

 

そんなある日、また彼からの

衝撃発言が飛び出します。

 

『留学したい』

 

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とりあえず、彼の話を聞きました。

 

アメリカの大学でMBAを取りたい。

勤務先に会社派遣留学制度はあるが、

それを利用すると帰国後、数年間は

会社を辞められない。だから、

退職して自費で行きたい。

 

簡単に言うとこんな感じでした。

自費で行くとなると資金が必要だし、

私も正社員で働いていました。

 

時間をもらい、じっくり考えました。。

一日の時間の大半、考えました。

 

正直、退職してまで行く意味あるの?

と思いつつ、私が彼の夢?を壊すのが

何となく悪い気がして、人生のうち、

たかが数年間なら応援しようと

思いました。子供もいないし、

資金は貯蓄と学資ローンなどでどうにか

なるかなと、思いました。

 

前夫に伝えました。

どうしてもやりたいのなら応援します。

私はまた帰国後に再就職先を見つけるし、

とりあえず私も退職しないとね、、と。

一緒に頑張ってみよう、、と。

 

 

すると前夫は意外なことを口にしました。

『応援ありがとう、じゃあ留学に向けて

準備に取りかかるからね。

お前は退職することないよ。

今と変わらず日本で働いていればいい。』

 

は?

……??どういうことですか?

1人で渡米して、夫婦の貯蓄で

海外生活し、夢を叶える。

妻である私は帯同も許されず、

働いて稼いでくれってこと?

 

私は以前ブログで綴った通り、

海外旅行が趣味だった時期があり、

海外に嫌悪感はないし、言葉も

軽いコミュニケーションくらいなら

問題ない。夫婦なんだから、望めば

一緒に行けることを大前提に考えていました。

 

その後も幾度となく、

帯同希望を伝えましたが、

前夫はひとりで新しい世界を

体感し、チャレンジしたい。

1人で行かせてくれ。

数年間だけだから待っていてくれ。

と、いうばかりでした。

 

じゃあ、何で結婚したんだよ!!!

どこまで自分勝手なんだ!!!

私は珍しく、メソメソ泣くのではなく

内心怒りがこみ上げていました。

 

前夫と離婚に至るまで12

抗うつ薬睡眠薬

ガバガバと飲み始めて

1年ほど経って、

母親が私の異変に

とうとう気付きました。

 

その日は休日に待ち合わせて

母と2人でデパートに買い物へ

行き、帰りに我が家に寄る約束でした。

 

私はその頃、強い薬を飲み過ぎて

副作用が出始めていました。

口の渇きがひどくて、ちょっとした

会話も舌や唇がすぐ乾いて話せません。

その中で一番困ったのが歩行。

特に階段を降りるとき、足元が

ふらふらして手すりがないと

到底降りられない状態でした。

 

その日、駅のホームから改札に

向けて階段を降りようとしましたが

人がいっばいで手すりがない。。

いつもなら、人がいなくなるまで

待ってゆっくり降りるのですが、

今日は母がいる。。。

母親に悟られちゃいけない!

 

そう思い、無理矢理人の流れに

合わせて階段を降り始めました。

足の動きは着地をするたびに

ふらつき、今にも転げ落ちそうでした。

 

それを先に進んだ母が下から見ていました。

すごい形相で、何があったの???

と聞かれました。母親ってすごいなぁ、

隠せないんだなぁと思ったことを

覚えています。

 

どうしても心配をかけたくないし

刺激が強すぎるかなとか思い、

全部ありのままではありませんが、

訳を母親に話しました。

 

母は静かに聞いてくれて

これからは私だけには

隠さないで。何でも話して欲しい。

打ち明けて欲しい。一緒に悩みたい

と言ってくれました。

そして、前よりもっともっと頻繁に

会いに来るから!電話もするから!

と言って、涙目で静かに帰って行きました。

 

私は母への申し訳ない気持ちと

母に話せたという安堵感の狭間で

複雑な気分でした。

 

 

それと時を同じくして、

薬の副作用でひどい眠気に襲われ、 

会社の社用車である軽自動車を

運転中、軽い追突事故を起こしました。

 

会社には薬を飲み過ぎたとは言えず、

よそ見をしていたと嘘をつきました。

 

でも薬をやめることはできませんでした。

薬はどんどん増えていきましたが、

前夫は私がどんなに薬を飲もうが

全く気にする素振りはありませんでした。

 

 

薬の副作用と戦いながら過ごした

結婚3年目。

また前夫から突然爆弾発言が飛び出します。

前夫と離婚に至るまで11

とある土曜日、

早起きをして心療内科に行きました。

とても混んでいて、異様な雰囲気でした。

 

まず、アンケートみたいな用紙で

うつ病チェック?を受けました。

その後、診察。

 

ドクターは忙しいらしく、

物凄く話を聞いてくれるタイプでは

ありませんでしたが、事務的すぎる

訳でもなく、

 

・精神的にかなり不安定であること

・今回処方する薬について

 

等、丁寧に説明してくれました。

とりあえず、飲んでみようと

思いました。

これで楽になるのなら、

しばらくは薬で我慢しようと

よくわからない決断をしていました。

 

出された薬は

睡眠薬抗うつ薬等。

後で知ったのですが、このとき

私が行ったクリニックは

とても沢山薬を出すクリニックでした。

 

私が初めから、かなり強めの

お薬を飲み始めました。

 

薬を飲めば、一日のうち

少し明るくなれる時間もありました。

睡眠薬のおかげで眠れました。

睡眠薬を飲んでも眠れない日は

夜中に睡眠薬を追加しました。

(本当はやっちゃダメですが、

この頃の私は正に病気でした)

 

うつ病と診断されてからも

会社には悟られちゃ行けない!

両親に心配かけたくない!

と必死で会社と両親の前では

めっちゃカラ元気で過ごしました。

 

定期的な通院。

前夫に私の苦しみに

気付いてもらいたくて

心療内科に行き始めたこと

うつ病と診断されたこと

を伝えました。

 

前夫の反応は、私の予想を

大きく裏切り、冷酷なものでした。

 

『弱いなー。

そんな薬飲んで何か楽になるの?

うつ病なんて

気持ちが弱いだけだろ?

自分の気持ちの持ちよう一つで

変えられるはずだよ。

俺も昔はネガティブ人間だったけど、

それが嫌だったから自分で治したんだ。

性格って、ある程度は自分で治せるよ。

お前は自分の弱い部分を治す努力を

怠っているだけ』

 

今、冷静になって考えても

何様ですか?!と思いますが、

あの時の私は心身共にボロボロ。

返す言葉がありませんでした。

もううつ病の話をするのは

やめようと思いました。

 

※思い出しながら書いていると

どうしてもっと早く離婚しなかった

のかなぁと思えて仕方ないです。。

前夫と離婚に至るまで10

※家事育児の合間の更新なので、

更新頻度にバラつきがあってスミマセン!

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前夫との生活は

新婚当時…とはいかないまでも、

普通に会話したり

たまに出掛けたり

ほぼ元通りになった。

 

もちろん、私の気持ち的には

元通りになる訳もないが

忘れよう、もうこんなこと

あるわけない!と信じて、

一生懸命好きになろうとしていました。

 

今考えると、好きになる気持ちって

一生懸命盛り上げるものではないので、

私無理してたのかなぁと思います。

とにかく、離婚はあり得ないと

その思いが強かったです。

 

 

でもその後2年くらいの間に

実は前夫は前回の

同僚への片想い?に続き、

似たことを2度ほど繰り返しました。

 

知らぬ女性とデートを重ねていたり

(身体の関係はわからないです)

合コンに行って、そこにいた

お気に入りさんと会ったり。

(お持ち帰りしたかは不明)

 

私が前夫の携帯を盗み見たのではなく、

前夫の置きっ放しの携帯が普通に鳴って

家でコソコソ話し始めたり、

メールをやりとりしているパソコン画面

開きっぱなしで、ソファで寝ていて、

心配して様子を見に行ったら

見えちゃったり、、、で判明。

 

隠す気ないよね、

悪気ないよね、

むしろオープンにしたいのか?

と思うほど。

 

そして、電話誰から?とか

ちょっと聞いただけで普通に

女性のことを教えてくる前夫。

そんな既婚者いますか?!

本当なんです、本当に信じられ

ないことをのうのうと言ってきます。

 

その後のやりとりは前と同じなので

割愛します。

ブランドバッグとアクセサリーが

増えました。事件が発覚するたびに

買い与えられました。

使う気になんて、全くなりません。

目に入ると腹立たしくなるので、

クローゼットの

一番奥へ仕舞いました。

 

 

そして私は徐々に弱っていきました。

悩みが深すぎて、誰1人にも

相談できませんでした。

口に出したら、自分が壊れそうでした。

次第に眠れなくなり、食べられなくなり、

1人になると涙が止まらなくなりました。

 

ふと、病院行こうかな。。と思いました。

 

 

前夫と離婚に至るまで9

暗すぎる日々を過ごしながらも

狭い家なので、たまには家で夫に遭遇

したりしました。

 

夫は明らかにその日の気分で

言うことが違いました。

 

あるときは、

『どうしても彼女を想ってしまう』

あるときは、

『この想いを断ち切るので、やり直そう』

あるときは、

『お前のこと、やっぱり好きかも』

 

ここまで言うことが違うと

病気なんじゃないかと

真剣に心配しました。

だって、明らかにおかしい。

多重人格者のようです。

 

月日が流れ、私も冷静になり、

やがて、『結婚して初めての試練、

みんな結婚は忍耐だ!とか言ってたし、

一度の過ちさえも許さず私は離婚するの?』

と自問自答するようになりました。

 

とりあえず、許す、、というか

一度元の生活に戻して

やり直してみようと思いました。

きっともうない、もうこんなことないって

信じようと必死でした。

 

元の生活に戻し、夫婦の会話も

まぁ何となく普通に戻った頃、

前夫が突然大きな大きな箱を

持って帰宅しました。

 

満面の笑みで私に差し出し、

丁寧に謝ってくれました。

もうしない、もうしないよと。

 

箱を開けてみると

私が触ったことすらないような

ブランドのバッグでした。

軽く数十万円。。

正直、引きました。

お金で解決されたような

気がして気分が悪かった。

 

でもまた喧嘩が始まるのが嫌で、

素直に受け取りました。

 

彼はお金で手っ取り早く?

解決したいタイプのドライな

人間だったことが、

後々出てくるエピソードからも

わかります。

 

いかにも優しそうなのに、

中身は冷血な人だったなぁと

思い起こされます。

 

前夫と離婚に至るまで8

前夫が好きになった人は

前夫の会社の同僚の女性でした。

私も何度かお会いしたことのある方でした。

 

とても快活で明るく、仕事が

できそうで、でも嫌味がなくて

私でも好感を持っていました。

 

少し前から一緒に仕事をしているうちに

好きになったと前夫は言っていました。

でも、前夫の片想いのようです。

と言うか、フラれたそうです。

 

お相手の女性はもちろん前夫が

既婚者であることは知っているので、

すんなり前夫の恋?が成就する訳は

ないのですが、既婚者でありながら

堂々と告白をしたなんて、私から

見れば異常です。

ソレ、不倫の申込みですか、、、?

 

前夫曰く、フラれはしたが

想いが断ち切れない。

また改めて告白するかもしたいと。

 

、、、はぁ?

何だか言っている意味が

全然理解できませんでした。

 

話し合いをしても、平行線すぎて、

会話がなくなり、数日後には

同じ家にいることさえも

息苦しくなってしまいました。

 

前夫はなぜか淡々と家にいます。

 

私はどうしたらいいかわからず、

平日は夜中に帰り、週末は

朝早くから出掛ける生活を

しばらく続けました。

 

両親や友達に、どう説明したらいいか

わからず、自分の頭の中もめちゃくちゃ。

遊ぶ気分になんてなれず、、

平日は夫が寝静まる夜中まで

ファミレスに居座り、

週末は早朝の海辺で朝日を見ながら

ぼ~っとしたり、ショッピングモールの

駐車場の片隅で車に閉じこもり

仮眠を取ったりしていました。

 

それでも、夫からは何も

連絡はなく日々は過ぎていきました。